「心が通い合う喜び」  06.06.04
                創世記11:1〜9、使徒言行録2:1〜13

  ペンテコステの日、集っていた弟子たちに聖霊が降りました。
 聖霊は、弟子たちに福音を明らかにすると共に、届く言葉を語る
ことができる者にしました。
 バベルの塔の物語は、言葉の通じ合わくなった人間の世界を
描きます。「神のようになろう。支配する者になろう。
 そして、散らされることのない者となり、自分の思うままに生き
られるようになろう」との思いで塔を建て始めます。
 神さまは、そのような人々を混乱へ導くしかありませんでした。
 このバベルの塔の人々は、いつの時代にも共通する人間の姿です。
 私たち一人ひとりの心の中にも、同じような思いが起こってきます。
 世界の支配者といった大きなことを願わなくとも、せめて自分自身が
小さな神となって、自分の好きなように生きたいと願うことは、誰もが
持ってしまう心でありましょう。
 しかし、そのような心は、言葉の通じない混乱を生み出すしか
ありません。自分を神さまになる時、真の神さまとの関係も、周囲の
人との関係も崩れ、言葉も心も通い合わなくなります。

 ペンテコステに、そんな人間の所に聖霊が降り、イエスさまのことが
分かるようにしてくださいました。それによって、言葉と心が通じ合う
道が開かれていきました。
 愚かな自分の罪を赦すために十字架にかかり死んでくださった
イエスさまからの愛を味わい知り、その方が傍らにいてくださることを
知る時に、人の心はやわらかくされます。愛されている安心感が、
支配者になろうとする焦りを取り除き、とがった心を融かすからです。
 また、小さな自分を愛し、受け止め、理解し、支え、慰め、与えて
くださるイエスさまが一緒におられる時に、バベルの塔の人々とは
違い、愛し仕えつつ進む道があることに気付かされます。

 世界には、なお混乱があります。しかしペンテコステ以降、
世界は聖霊の降った世界です。
 ですから、イエスさまによって互いに理解しあい、心が通い
合う喜びに進めることを信じるのです。
 聖霊に対する信頼と希望を持ちながら、混乱ある世を
進んで行くのです。